
このサイトは、「ヴァニタス」をキーワードに芸術表現をリサーチし、情報を発信していく「ヴァニタス・アート」のプラットホームです。
「ヴァニタス vanitas」とは旧約聖書にまで遡る概念で、「空しさ」や「虚栄」といったネガティヴな意味で使われ、17世紀バロック期のオランダ静物画のなかで独自の意味作用をもつ骸骨や砂時計、シャボン玉といった図像定型を生み出しました。近年ではヨーロッパを中心に、現代の芸術——美術をはじめ、文学や映画、演劇やパフォーマンスなど——におけるヴァニタス表現の回帰もしくは反復に注目して、「現代のヴァニタス」の新たな意味の展開を捉えなおす研究が進んでいます。
このサイトは、2020年〜2024年の4年間に実施したドイツの研究チームとの国際共同研究の成果をもとに、ヴァニタス・アートをつうじた死生観や文明観の表現、人新世(Anthropocene)のテーマと取り組むアート、ヴァニタスによるジェンダー表象、そして西洋と日本のトランスカルチャーの視点からの比較文化論などを発信していきます。
特集:ヴァニタスアート リレー・エッセイ
第6回 砂上の楼閣
鈴木 賢子

ダニッチの浜辺。サイズウェルの原発を遠景に眺める。
2012年、筆者撮影
遠い昔、ダニッチの海上には、海に沈んだいくつもの教会の塔が見えたと言います。1900年前後までダニッチの浜辺に残っていた「エクルズの教会塔」は、もともと高台にありました。しかし、砂地の上に建てられていたせいで、自重によってそのまま傾きもせずに海辺までずりおちて、徐々に砂に沈んで倒壊してしまいました(第4回の図版参照)。まさにリアルな「砂上の楼閣」です。
かつて繁栄を極めて海に沈んだ町とエクルズの教会塔は、シェイクスピアの『嵐』におけるプロスペローのせりふを具現化したかのようです。この有名なせりふでは、この世は一炊の夢である、ということが示されます。
だが、大地のなかに礎をもたぬいまの幻の世界と同様に、/雲に接する塔も、豪奢を誇る宮殿も、/荘厳極まりない大寺院も、巨大な地球そのものも、/そう、この地上に在るいっさいのものは、結局は/溶け去って、いま消え失せた幻影と同様に、あとには/一片の浮き雲も残しはしない。われわれ人間は/夢と同じもので織りなされている、はかない一生の/仕上げをするのは眠りなのだ[…]
(“The Tempest,” IV. i. In: William Shakespeare, The New Cambridge Shakespeare, ed. David Lindley, Cambridge University Press, 2002, 190–191. 小田島雄志訳、一部訳語を変更)
このダニッチの海岸からは、神殿のように巨大なドームをもつサイズウェル原発が遠望できます。
ゼーバルトの『土星の輪』において、海中に没したダニッチの歴史、自然自身が語る自然史、これら2つの位相とテンションを保ちつつ、低音部で鳴り響いているのは古い意味のコード、すなわち「自然とのバランスを崩し、他者を抑圧して進む私たちの現代文明は、いつか没落し、時の流砂に呑み込まれるだろう」というヴァニタス的な警告です。
第5回 海に沈んだダニッチの町
鈴木 賢子

1250年頃のダニッチの町
現在の海岸線が画面の中ほどに描かれ、中世の頃の町全体が海中に没していることが示されている。2012年、現地の案内板を筆者が撮影
イギリス東海岸の浜辺に面しているダニッチは、現在はポツンポツンと数えるほどの家屋しかない空漠とした場所です。『土星の輪』の語り手は、ダニッチの荒涼たる浜辺を眺めながら、砂のもたらす地質学的変化によって壊滅した町を想起します。中世の時代、ここには交易で栄えたヨーロッパ屈指の港町がありました。繁栄を極めた時期、ダニッチの住民はあらゆる手段を講じて地盤の崩壊を防ぎ、侵食する波の力を食い止めようとしました。しかし、結局すべては無駄でした。ダニッチの町は、
そのことごとくが海中に没した。いまそれらは堆積した砂礫の下に、海底二、三マイル四方にわたって沈んでいる。[…][いくつもの教区教会が:鈴木補]浸食によってじわじわと後退をとげていった崖の端からひとつまたひとつと海に落ちていき、そのむかし町が築かれていた土台と岩もろとも、徐々に深い海底に沈んでいったのだ。
(W. G. ゼーバルト『土星の輪』鈴木仁子訳、白水社、2007年、148–149頁)
『土星の輪』のなかで語られるダニッチの町は、まるで透明なガラスに覆われた砂時計のなかに存在し、砂に埋もれていくミニアチュールのようです。
第4回 W. G. ゼーバルトの『土星の輪』と砂の表象
鈴木 賢子

W. G. ゼーバルト『土星の輪』(鈴木仁子訳、白水社、2007年)書影
表紙画像:かつてダニッチの浜辺に佇立していた「エクルズの教会塔」
ドイツ人作家W. G. ゼーバルトの文学作品『土星の環――イギリス行脚』(1995年)では、語り手がイギリス南東部に位置するサフォーク州とその海岸地域を徒歩旅行します。イギリス東海岸地方は第二次世界大戦以降、長い経済的沈滞に陥りました。語り手が旅している今日、栄華を誇った町のいたるところに衰退の雰囲気が漂っています。
作品のタイトルにもなっている「土星の環」は、惑星の潮汐力で破壊された衛星の塵や瓦礫でできており、そもそも『土星の環』というタイトルは、地表を形成する砂や瓦礫の自然史的生成変化をコノテーション(内示的意味)として有しています。
『土星の環』全体に頻出する砂や瓦礫は、①人類の欲望に駆動され、頂点に達したかと思えば凋落する歴史、②人間の歴史から解離して、自然そのものによって形成される自然史、③ヴァニタス的な寓意、という3つの位相で語ることができるでしょう。
『土星の環』の後半、第7章「ダニッチのヒース」では、地表をあらかた書き変え、繁栄を極めた町を滅亡させた砂の力について語られています。「ダニッチのヒース」の章は、欲望に駆動された人類の歴史とその結果の象徴としての「砂」、地質学的な変化をもたらす自然現象としての「砂」、ヴァニタスにおける寓意としての「砂」、という、三重の意味の緊張関係によって構造化されていると言えます。
第3回 時の流砂
鈴木 賢子

Philippe de Champaigne
Vanitas Still Life with a Tulip, Skull and Hourglass
circa 1671, oil on panel, 28 × 37 cm, Musée de Tessé, Le Mans.
Wikimedia commons: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:StillLifeWithASkull.jpg
アルブレヒト・デューラーの版画《メレンコリアI》(1514年)と《書斎の聖ヒエロニムス》(1514年)には、砂時計(英hourglass; 独Sanduhr)が描きこまれていることにお気づきでしょうか。砂時計は、いわゆるヴァニタス画においても意外に出てきます。近世のヴァニタス画において、砂時計は、しゃぼん玉やろうそく、空のグラスと同様、人の命や現世のはかなさを表す寓意として描かれます。
ヴァニタスの寓意のなかでも砂時計がやや特殊であるのは、大鎌を振るうサトゥルヌス(土星)の「すべてを破壊する」時、すなわち、地上のあらゆる存在が逃れることのできない時を、時間の計測器そのもので示すという観念の重複性にあります。
今回は「砂」に注目します。ヴァニタス画において、砂というモチーフは単体で描かれるというより、たいてい「砂時計」の一部として描かれます。透明なガラスのなか、さらさら流れ落ちる砂は、留まることのない時の流れはもちろんのこと、天空の円蓋の下、形を失い潰えていくこの世界を表わしているでしょう。
第2回(後編)アンゼルム・キーファー《ヴァニタス》 2019/20年
香川 檀

Anselm Kiefer
Vanitas, 2019-2020
Emulsion, oil, acrylic, shellac, wood, and metal on canvas
280 x 190 cm
Copyright Anselm Kiefer, photo credit: Georges Poncet
キーファーが愛読したオーストリアの詩人インゲボルク・バッハマンの「壁のうしろで」という詩に、こんな一節があります。
わたしは 大きな世界不安の子だ、
それは平和と喜びのなかへぶら下がる
昼の歩みのなかにぶら下がる鐘の音のように
そして熟した畑のなかにぶら下がる大鎌のように。
わたしは 絶えず・死ぬことを・考えること だ。
(『インゲボルク・バッハマン全詩集』中村朝子訳、2011年、青土社、傍点は香川)
キーファーの《ヴァニタス》は、「熟した花畑」のなかに大鎌をぶら下げることで、花に死が迫っていることを警告しています。この絵が完成した2020年、世界はパンデミックの波に覆われました。同じ年に、もう一枚の絵画《メメント・モリ(死を想え)》も描かれ、やはり葉叢の画面に、本物の鎌と、切断された木の枝が貼り付けられています。美術史の伝統的な主題とモチーフを用いながら、現代の危機と共振する作品になっているのです。
第1回(前編)アンゼルム・キーファー《ヴァニタス》 2019/20年
香川 檀

Anselm Kiefer
Vanitas, 2019-2020
Emulsion, oil, acrylic, shellac, wood, and metal on canvas
280 x 190 cm
Copyright Anselm Kiefer, photo credit: Georges Poncet
ひとの背丈の倍ほどの高さがある巨大な画面いっぱいに、植物の葉叢が描かれています。
ジャクソン・ポロックによる抽象表現主義の絵画と見紛うような、絵具と線の鬱蒼とした重なりに見えますが、よく見ると、枯れ草色の茂みには散った花びらがいくつか撒かれ、そして中央には一輪の花が、黒々とした茎の頭頂に咲いています。
そして、その花のすぐ頭上には、本物の古びた西洋鎌(大鎌)が画面上端から逆さに吊り下がっています。鎌は収穫のための農具ですが、転じて、ひとの命や魂を刈り取るという意味で、西洋中世から死神の持ち物として図像化されてきました。いわば死の記号なのです。
(後半へ続く)
2026/06/03
ヴァニタスアート リレー・エッセイ 第6回を追加しました。
2026/05/28
ヴァニタスアート リレー・エッセイ 第5回を追加しました。
2026/05/18
ヴァニタスアート リレー・エッセイ 第4回を追加しました。
2026/05/11
ヴァニタスアート リレー・エッセイ 第3回を追加しました。
2026/03/29
ヴァニタスアート リレー・エッセイ 第2回(後編)を追加しました。
2026/03/14
ヴァニタスアート リレー・エッセイ 第1回(前編)を追加しました。
2026/03/09

ヴァニタス・アートのエッセンスを詰めた本『甦るヴァニタス』が刊行されたのを受けて、このウェブサイトでも、関連のテーマをショートエッセイのかたちで連載します。
本でとりあげた現代アート以外にも、ヴァニタスの視点で見直すとおもしろいアート作品がいろいろ登場します。
本の執筆者たちによるリレー形式で、毎月、新しい話題を提供します。
今月はまず、ドイツ出身の美術家アンゼルム・キーファーの作品から——。乞うご期待!
2026/01/25

『甦るヴァニタス』が1月29日、ついに刊行!
生のはかなさと死を表現する静物画の一ジャンルである〈ヴァニタス画〉が盛んに制作された17世紀ヨーロッパ。 それから数世紀、今もアーティストたちは〈ヴァニタス〉に触発され続けている。 日本とドイツの美術研究者が、今に甦ったヴァニタス、現代の新しいヴァニタスを読み解く意欲的試み。図版多数。
以下のページでも購入いただけます。
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| 目次 | |
| まえがき:「はかなさ」と現代の芸術——ヴァニタスをめぐる三つの問い | |
| 香川檀 | |
| 序論:現代芸術におけるヴァニタスの回帰——西洋/非西洋、交差するまなざし | |
| ヴィクトリア・フォン・フレミング | |
| 第Ⅰ部 現代のヴァニタス——生死と時間の戯れ | |
| 第1章 | 杉本博司の死生観とヴァニタスの美学——《ヘンリー八世》をめぐる表象の歴史 |
| 仲間裕子 | |
| 第2章 | 草間彌生とヴァニタス ——〈花/女性〉と死をめぐって |
| 石田圭子 | |
| 第3章 | ジャン・ティンゲリー——ヴァニタス、そしてエフェメラの芸術 |
| ヴィクトリア・フォン・フレミング(訳:香川檀) | |
| 第4章 | 生死のはざまのヘテロ・クロニカルな実験 —— 時間管理に対するヴァニタスの反乱 |
| ミーケ・バル(訳:岡添瑠子) | |
| 第Ⅱ部 メディウムが担うはかなさ——写真とビデオ | |
| 第5章 | 終わりと飛び去り——髑髏、昆虫、そして現代写真におけるヴァニタスのふたつの時間性 |
| カタリーナ・ズュコラ(訳:結城円) | |
| 第6章 | 畠山直哉の写真における川の表象——〈無常〉をめぐる一考察 |
| 鈴木賢子 | |
| 第7章 | 写真の間文化的な時間性——荒木経惟『TOMBEAU TOKYO』におけるヴァニタスと無常 |
| 結城円 | |
| 第8章 | ビデオアートにおけるヴァニタス静物画——バロックのモチーフとその時間性について |
| クラウディア・ベンティーン/ユリア・C・ベルガー(訳:石田圭子) | |
| 第Ⅲ部 ヴァニタスの変奏——神話と社会 | |
| 第9章 | 「居場所」のはかなさ——イケムラレイコの描く“妣の国”と死 |
| 香川檀 | |
| 第10章 | サイ・トゥオンブリーのオルフェウス習作群における古代の残存とバロック的時間経験の形象 |
| アンネ・オイスターシュルテ(訳:鈴木賢子) | |
| 第11章 | ゴミの化石を作るとき——三島喜美代の作品における物質と時間性 |
| マーレン・ゴツィック | |
| 第12章 | はかなさの永遠性? —— 美術館における「エフェメラル」な作品の保存修復について |
| カロリン・ボールマン(訳:仲間裕子) | |
| あとがき 結城円 | |
2025/07/07

いよいよヴァニタスアートについての本『甦るヴァニタス』が刊行に向けて動きだしました。
今年の11〜12月に岩波書店から出版の予定で、現在、推敲の作業を進めています。ドイツと日本の研究者12名による、ヴァニタス表現の現代アートに関する論考を収めています。乞うご期待!

2023年9月開催
シンポジウム+講演会「VANITAS 現代美術と写真にみる「はかなさ」のイメージ ⽇独共同研究の成果から」(外部サイト)
→ こちら